迷ってずっと置いていたのを、少し修正したものになります。無駄に長いですが、内容は特にないようなんて。
さて。
そういう境遇の人間ではないですが、まあでもわからなくはないですし、そう思っている同じような人は少なからずいるのではないでしょうか。だからといって同情や擁護はしませんし、したことについてもちろん肯定もしません。
あまり幸せがどうのとは言いたくないのだけれど(「幸せ」という言葉は便利だが……)、過去が悲惨であっても、現在がある程度一般的に言われるような幸せを感じられる状況に生きられていたら、ああいうことは起こしていないだろうから、根底はそこでしょうね。あとは性格的なものもありそうです(生年月日が出ているのでちょっと見たけれど妙に納得するところがありました)。ただ、そういう境遇の人は、幸せな状況になるのはなかなか難しく、そこが問題ではある。
だから、ある程度は幸せな生活を送れている人には、理解しづらい部分はあると思います。たとえわかっているつもりでも本当の意味での理解は出来ないでしょう。
自分の思い描いているものがあって、それを自分がどうにも出来ない形で壊されたらそりゃあ恨みもするだろう。そこ行くか? と思いました。本来の敵ではないとわかっていたようだし、社会的な周知が狙いだったのなら未遂でも目的は果たせただろうに。それだと周知は弱かったかもしれないが、それでも問題にはなっていたのじゃない? 今回のは実際、世間が勝手にどうにかしてくれている。狙い通りでしょう。どちらにしても、そういう形ではなく正面から戦うべきではあったが。
思うのだけれど、もともとは団体トップを狙うつもりだったらしいが、仮にそれが成功したとしてもそれでどうにかなるものなのだろうか、などと考えてしまった。それで崩れるとは思えないし、どうなるのが望みだったのだろう。
早い段階で距離を置くなり縁を切ってしまって、自分の人生を生きる道もあっただろうに、それはしなかったということなのか。(そうすることが非常に難しく、また出来ないのがこの境遇の人達であることはわかっています)報道から見るに家族思いだったのだろう。それが余計そういう思考にさせてしまったか。うーんそうか、中間子か。真ん中の子は、親の愛情を他の兄弟姉妹よりも受けられないことが多いので、そういうことも影響しているかもしれないですね。"母親を憎んでいる"と言っているみたいですが、それはどうだろう。それなら母親に向かうはずだけれども、それをしていないのであれば。そうすると、本人ではなく大事にしているものどうにかすることで怨みを晴らすとかならあるか。どこかで信じ続けているのだろな。
また、そういう人のお家(信者の家庭)はわかるので、学校などで疎外されたりしたことがあって、人や社会に受け入れてもらえないのを感じていると、積極的に人と関わろうという気持ちは湧きにくいでしょうね。それが更に孤立をうむわけです。必要な区別は良いけれども、社会がもっと、する必要のない自分達と違うものを区別しようとする傾向がなくなるといいのだけれども。
とはいいつつ、同じような境遇のかたは世の中にはいらっしゃいますし、そのかた達との違いは何なのだろう。Twitterで拝見しているかたでもいらっしゃいますね。違う団体ですがやはり親がそのようで、日々大変そうだけれど頑張っていらっしゃる。
ああいう団体を見ていると思うのが、そもそもの疑問として、神様仏様はお金は要らないだろうとよく思うのだよね。人間が使うものであって神様は使わない。それがわかっていると、ああいう類のものにはひっかかりにくいはずです。
ただ、お賽銭なんかは決まった金額はないと言われますし、お金というものが人間にとっての価値あるものとしてわかりやすいということかなと思う。だから、献金なんかをするのであれば(するなとは言わない)ゲームの課金や投げ銭みたいなもので、自分の身の丈にあった範囲にしましょうということです。
あと、居場所としての建物とか、神饌や供物(宗教で言い方が違うかも)には結果としてお金はかかりますし、そういう意味ではある程度は必要でしょうけれども、信者の生活が困窮する程のお金は必要ないと思うのです。話題になっている団体は基がキリスト教とのことですが、その要素どこ行った? 神はむしろ困窮者をお救いになられるのでは? と考えると、これは神の本意ではなさそうですね。信者を陥れてどうすんの。まあ、洗脳のひとつのやり方ではあるので、こうすることで抜けられなくするのだけれども。洗脳は意外と身近にあったりするので、皆さんもお気をつけください。言ってしまえば、恋愛や結婚なんかでも近いことをされている人はいるんじゃないか?(暴言) されている側は気づいていないだけで。
時々書きますけれど、私は宗教は否定しません。ただ、ほどほどに、ということは今回も書いておきます。
ここから少しTwitterで見たものから考えたことに書きます。
「私は無宗教です」という人は本当に気をつけてください。勧誘されると弱いかもしれません。
それなりに色々知っていて知識があっての「無宗教」と、宗教とかよくわからなくて知らないことでの「無宗教」があるわけですが、後者が危ない。日本の場合、「無宗教」と宣言する人の大半は後者だと思うのですよね。
知識をつけろと言っているわけではないです。むしろ人によってはそれも危ない。知識を付けた方が良いという意見もあるのだけれど、どうなのだろうな。あるに越したことはないが、ある程度のベースがないと危ない気がするのだよね。知っておくことで自分で回避出来るようにするってことみたいだけれど、その前にやられると思う。だから、近づかない、観察するなら距離を取る、危なかったらすぐに逃げる。
よくわからないのに興味本位で、下手に宗教関係(特にカルト)のHPとか見に行かないように。感化されますぜ。冗談ではなく。
良いこと書いてあんのよ。素晴らしい信念とかが書かれていて、読むと、そうか! ってなりそうになります。私は、そういうのを見てアラを見つけたりすることもあるので(いい趣味してるだろ 笑)感化されないけれど、それでも耐性がなかったら難しいとは思う。
私の場合、ラジオの宗教関係の番組をハシゴしていた時期もありますし、スピリチュアル関係も実は通っています。全くどこにも何にも引っ掛からなかったのですが、見方として面白い(興味深いという意味の)なと思って聞いたり見たりしていました。しかしながら、ほんの少しの何かで、どこかにハマっていた可能性はあるわけです。こんなことをしている今だっていつどうなるかわかりません。
あと、新宗教(新興宗教)を毛嫌いしているような人も危ないです。嫌っているのなら大丈夫じゃない? と思うかも知れませんが、そんなことないです。意外と、新宗教を嫌っているから宗教嫌いかと思いきや、神様仏様を信じていたり、また、冷静に見られれば怪しいとわかるものを信じていたりすることがあるので、そういう人は気をつけてください。日本は「無宗教という名の宗教」がありますからね。
何かをされた過去があり意味があって嫌っているのならまだ大丈夫ですが、これが特に意味のない場合が危ないです。例えば、「親が嫌っているから」とか、そういう自分の理由ではない場合。人の意見で意味もなく嫌っているので、それを信じているということだから素直な人の可能性は高い。素直なので、勧誘とかされてしまうと信じてしまいやすいです。人の言うことを信じやすいとか、からかわれやすいような人は、そういうのが近づいてきたらとにかく逃げる。関わらない。ただそういう人ってひとがいいから、怪しい人がわからなかったりするのだよね。
これは書くとお叱り受けそうだけれど、そもそも、宗教は人が作ったものではないですか。もっと言えば、神様や仏様だってそういう概念であり、人が作ったわけですよ。概念としてそこに存在させることで人の向く方向を定めている。そうやって、仲間意識や団結を作り出しているわけです。
これは有名人などにも言えることで、一部でそういう方々を神格化しているような人達も見られますし、それは宗教とさほど変わらないということです。それが故に、“推しが全て”という人はカルトにははまりにくい、ということもまた言えるみたいです。(推しが特定の宗教の神仏や教祖に変わったら別だが)
身近で、世間からカルトと言われているような宗教を信仰している人がいるかたもいらっしゃるかもしれません。もしくは、ご本人でしたらすみません。それも有り得るから一応。
お相手のお家が、というパターンもあるだろうしな。それはもう諦めた方がいいですね。どっちの意味でも取れるので、それに自分も乗っかってしまうか、はたまた関係を断つもしくはなるべく関わらないか。後者をおすすめするが、それは後々のことを考えるとそちらの方がいいって話ね。気にしないのなら前者でもいいと思いますが。
個人的な話ですけれども、うちの辺りはなかなかの地域でね。ちょっと面白いなと思っていたりしますが、それはあまり自分に関係がないからだろうなと思う。
えっとね、パッと思い浮かべられる宗教系の施設(怪しくない寺社は除く)が4つあって、いままででチラシがポストに投函されていたことがある名前を知っているところが2〜3、名前も知らなかったところが1、投函はもっとあったかもしれない。宗教系のが入っているとワクワクしちゃうよね。とりあえず私はちゃんと見るから。それでなるほどって思う。
信仰は自由なので、それ自体は問題ではないですが、いやでもそういう人を見分けるのは難しいのですよね。そのこと以外はいたって普通だったりするから。
以前行っていたとこの美容師さんがそうでしたね。その人だけいつも予約で一杯で不思議に思っていたらそういうことだった。なぜわかったかというと、聞こえてきたお客さんとの会話でした。ああ、そこの人だったかと。
髪を切ってもらっても別に何かあるわけではないし、その後もそこには行っていました。普通なんですよね。
ストーカーをしている人とかもそんな感じですものね。
職場にいたことがあって、風の噂でストーカーなんだってさと。でも、普段そういう感じは一切なく、むしろ明るい人だったので不思議でした。その場を見たわけでもないので、私は特に態度は変えず普通に接していました。それはそれでそこは切り離せばいいので。
そんなに深く関わる人でなければ、それで問題ないです。深く関わる人だと考えた方がいい場合もありますが。