新年度です。3月中に上げるつもりが長くなってしまって3月終わりましたね。ついでにあれもこれもと、いずれ何かの機会に書こうと考えていたことなどをちょこちょこと。
さて。教職員の異動が新聞でわかるじゃないですか。毎年、なんとなく目を通すのですが、今年もながめていたら見覚えのあるお名前がありました。
名字が珍しいので、たぶんあの先生だと思うのだけれど、まだ先生やっているんだなぁと思ったところ、よく見たら、校長の新任のところではありませんか! 4月から校長先生ですか。いやあすごい。うるさく言う先生ではなく、見守っているような先生だったので、姿が想像できます。
中学の時の担任でした。記憶に残っていることがあって、掃除の時間、班の他の人がやらなかったのでいつも一人でやっていたのですが、卒業が近いある日、「これからは、頑張りは評価されるから」と言われたことを覚えています。そうであったらそれは本当に素晴らしいですが、実際はそんなことはありませんでした。努力が実を結ぶ形で評価される人は、極一部だと思うのです。それは頑張り度合いが人によっても違いますし、報われる人というのはそれだけのことをしているわけですが、とはいっても世知辛いとも感じます。
自分は頑張っていないので評価はされなくて当然だけれども、なぜずっと頑張っているあの人があんなに苦労をしているのだろうと思うことはよくある。憎まれっ子世にはばかるとはよく言ったもので、そういう人がのうのうと甘い汁を吸っていたりするわけです。
掃除を一人でしていたのは気持ち的には楽だったので、わりと楽しくやっていました。頑張ってやっていた感覚はないのですが、頑張っているように見えたのでしょうかね。クラスに馴染めなかったので、一人で何かをしていられる掃除の時間はむしろ良かったのです。
そんなわけで学生時代の思い出はあまりないです。中学2、3年の記憶はほぼない。数年経って机周りの片付けをしていたら、林間学校の時の写真が出てきました。普通であれば写真を見たら、あんなことあったなー、とか思い出しますよね。見たのですけれど、全く記憶が蘇らず、何の時のだろうと考えて、最終的には思い出さなすぎて笑いましたよ。数年前なのに記憶がないってどういうこと? と思いましたが、思い出さないものは仕方ない。思い出がないのだもの。
学校には馴染めず孤立していましたけれど、軽い嫌がらせのようなことはあっても、あからさまなイジメはなかったのが幸いでした。恐らく、目立つ行為や反応がなかったので、イジメようがなかったのだと思います。
特に楽しいこともなかったのですが、休むことなくちゃんと行きました。学校に来ない生徒もいましたけれども、なんとなく休んだら負けなような気がしたのと、高校もそのままの考えでしたが、今は踏み台でしかないという気概でやり過ごしました。だから、卒業式で泣いたことはなかったですね。泣けた人は良い学生生活を送れていたという証拠です、羨ましい。
誰かや何かを恨んだりすることはなかったです。ずっと自分が悪いと思っていて(ほとんど喋らなかったので)、どちらかというと申し訳ないなと思っていました。なぜか学校(小中高)は事ある毎にグループや班を作りたがる。孤立していると、余るわけです。どこかがそれを引き受けなければならない。グループ決めがあると本当に憂鬱でした。自分さえいなければ全てうまくまとまるのにとよく思っていました。
でも、この時期があったから良かったのかなと思うこともあって、順調に楽しく学生生活を送れていたら、嫌な人間になっていたのではないかと後に思ったのですよね。元々性格が良いわけではないから、それが助長された可能性がある。だからといって性格が良くなったというわけではなく、そう考えると、抑制はされたのではないかと思います。
高校はそれでも3年間誰かしらかまってくれる人がいたのでまだ良かったのですが、見た目についての陰口は言われていましたね。そりゃあ知っていますよ。そういうのはわかるもんですぜ。
まあ、高校2、3年の時は、わたくし成績が良かったのでね。そういうのももしかしたらあったかもしれんね。クラスで1桁には常に入っていましたから。現文、現社、政経、他もあったと思いますけれど、科目で何回か1番とりましたね。ちょっと自慢してみました。でもね、学校自体のレベルがあれだから、そこを考慮するとそんなにすごいことではないので、たかが知れています。
そういえば、皆さんは高校時代、文系理系にわかれましたか? どうも世間的にはそういうものらしいのですが、行っていた高校、わかれていなかったのですよね。普通科ですけれど。なので、自分がどっちなのかが、はっきりはしていないのです。取っていた科目的に一応、文系だったと思いますが。
決まっている授業以外はこの中から何を取るみたいなシステムで、そうすると必然的に他のクラスの人と一緒の授業とかが何個かありましたね。
大学は気楽で良かったです。推薦で入っているのですが、元々は推薦のつもりではなくて、一般で受けるつもりでした。そのつもりだったのですけれど、担任(英語教師)に「英語が厳しいからレベルを落とせ」と言われ、少し落としたところに見学に行ったのですが、何か違うとなりました。
たしかに英語が壊滅的にダメでどうにもならなく、どうしたものかと考えていたとき閃いたのです。そういえば推薦がいけるのではないかと。評定平均足りているはずだし、まだ間に合う。担任に「推薦とか、出来ませんかね?」と訊いて、推薦をどうにかしてもらいました。試験は面接と1科目の筆記で、小論文はないところだったので助かりました。作文の出来ない私には小論文は厳しいのです。
試験受けて、全く落ちる気がしなくて、結果受かったのですが、合格報告を担任にしたらえらい驚かれて、“絶対受かると思っていなかっただろ” と心の中で思いましたよ、ええ。
大学は、どこがいいかなーと見ていたときに最初に目に留まったのは東洋大学でした。でも偏差値的に無理だなと諦めたのですよね。後に、ここにしようと思わなくて良かったと思いました。偶然にはなりますが、なんとなくあれじゃないですか。行った大学で良かったのだと思います。学生の人数が少ないところだったので、私には合っていました。そんなに有名ではないけれど歴史はある学校です。〜塾から始まっているので、学ぶところとしては古い。創立145年ですって。同じ位の学校は意外とあるので、そんなにすごい話でもないのですがね。
昔にちらっと聞いたことがありますが、ホント偏差値高くなったと思う。行ってた学部は日東駒専より上とか書かれているんだけど、ビックリ。当時もそうだったらいいけれどな、違うだろうな。
ゼミは、本当は先生が提示した条件には当てはまっていなかったのですけれど、入っちゃったのですよね。条件は酒を飲む人。先生の講義を受けていたわけでもなく、直感で決めてしまいました。他のゼミの人達から、変わり者の集まりだと言われているというのを知って、妙に納得をしてしまったようなメンバーでしたね。居心地は悪くなかったので、そういうことなのかもしれない。
毎週のように飲み会が開催され、そして私は飲めもしないし喋りもしないのに誘われるままによく参加していました。そうやって、人の中に入りに行くようになったことにより色々わかったことがあって、それがその後に役立ちました。人見知りではあるのだけれど、ある程度の年齢になって “人見知りだから” で済ませられるとは思えなくて、だからここでそういう経験を出来たことで、その後それなりになんとかなるようになったのは良かったですよ、本当。面白味のかけらもない人間を、律儀に誘い続けてくれたことに感謝ですね。
とはいいつつ、人との関わり方が本当にわからなくて、いまだに難しいと感じています。
とりあえずわかったことは、話さなくても話を聴いている姿勢は大事で、そうしていれば話してくれる人もいるのだということですかね。
話がだいぶ変わってしまいましたが、総じて、「青春」という謎の何かが来てくれたことがないのですけれど、どこ行ったのか知りませんか?