はっきりとは書かないけれど、
それにしてもあれは年々あれになっていきますね。
申し訳ないですが、毎年疑問に思ったりします。
最初の頃から意味がないと言われていましたし、
今更という感じですか。
ああいうものはどこのでも
色んな事情が絡んでくると思うので、
仕方ないですけれどね。
うちの所属団体のそれのやつだって、
本当の実力だけで
決まっているわけではないらしいし、
色んな事情であれがそれしたりする。
じゃなきゃ私は何にも引っかからんだろうよ。
だから正直なところ、
素直に喜べていなかった部分があるのだよね。
この話は怖いからこの位にして、さて。
ある芸能人の方の記事(コラムなのかな)
を読んで、その記事に対して
良い反応がそこには付けられていて、
えっ?? なんで?? と思っていました。
芸能人夫婦の妻の方が書いたもので、
内容は、夫に対しての考え方と
自分がどう変わったかみたいなことだったと思う。
たまたま違うことで覗き見した人が、
この記事を取り上げていて、
自分の違和感の理由がわかった。
反応としては、「素敵」や「関係性が好き」など、
そういう肯定的なものでした。
自分にはそれはちょっと理解出来なくて、
どこが?? という感じでした。
あれは、夫が自己中心的
(身勝手なのかもしれないが)な人で、
妻がそれに振り回されているようにしか
受け取れなかった。
それのどこが素敵なのかがわからない。
肯定的な反応の人には、
理解のある妻に映っているのだろう。
書いているその妻本人も
そういう自分に酔っている部分があるのだろうか。
それとも、世の中的には、
そういう妻でいないといけない風潮でもあるのか。
相手の考えを尊重している
という意味では理解はしているのかもしれない。
しかしながら、文章から感じられたのは
諦めているというような印象でした。
それは理解とは違いますね。
理解をするということは受け入れる
ということでもあるように思います。
"諦める"と"受け入れる"は違うと思うのですよ。
"諦める"はそこで切っていることになるのでは。
その話が肯定的に(一部の人にだとしても)
受け入れられているということは、
それは普通のことだという認識なのだろうか。
それでいいのですかね?