レミゼのプレビューが始まっているので(初日は25日)、関係あるような関係のない話でもしましょうか。そんな気分なので。
その前に、私は今回パスです。チケット取っていないですし、キャススケも見ていません。そうだ、キャススケ見ていない。あとでそれは見よう。というか、ダウンロードだけはしておきたい。
私がレミゼを初めて観劇したのが、2007年7月1日(日)夜公演でした。何も見ないで日にち出てくる。この年の、観劇した日にちとキャストを書き出したことがあって、それで覚えちゃったのね。なんなら、プリンのキャスト言える……。
という、興味のない人からしたらちょっとあれな感じですが、実はこの日、もしかしたら観られていなかったかもしれないのです。これがまた席が良かったので、観られて良かったですよ。この席より良い席でレミゼを観たことはないですね。
この年のGW明けぐらいに、風邪ひいてしまったみたいだなーと軽く思っていたのですが、それが治るどころか、苦しさがひどくなって我慢していた咳が出るようになり(たぶん我慢しない方が良かったのだね)、仕方なく病院に行ったのが5月末。
気管支が少し炎症してますねとのことで(気管支炎とは言われていない。この前の投稿もそうですが、気管支炎と書かないのはそのためです)、やったことのある人はわかると思うのですが、そりゃ苦しいわけだと。 咳止めの薬を飲んでいても、横になると苦しさが増して寝られないので、座った状態で寝るのだけれど、夜中に必ず一度目が覚めて、咳きこんで止まらなくなる。
それでも仕事には休まず行っていたのですが、いちばん困ったのは電車で、
咳きこみだすとしばらく止まらない、結構ヤバげな音を出してしまうので、まずいと思ったら電車を降りて咳をしたりして、なるべくご迷惑にならないように。
咳をするときは、マスクをした状態で更にタオルで口を押さえるとかしてなんとかしていました。出来るだけ音を小さくしたかったのと、周りにうつさないためでもあった。
本当に薬が効いているのか疑いたくなったのですけれど、薬がなくなってわかりました、ちゃんと効いていたんだと。
咳止めがきれてしまった日の朝、苦しくて動けなくなりました。動けないので、この日は仕方なく仕事を休みまして病院へ。苦しいので、ゆっくり歩きながら、電車にも乗って、なんとか。今思えば、タクシーで行けば良かったのですが、そんな考えはなかったので仕方ないです。
そんなこんなで、咳も、咳止めの飴でどうにかすれば出なくなったのが、6月末。
ギリギリでした。なんとか観劇までには間に合った。治らなかったら、行けなかったでしょうな。生理現象なので出てしまうのは仕方がないのですが、ちょっと咳の種類的に舞台中にはよろしくないじゃないですか。
そんなわけで、観られたわけですが、とはいっても、飴でどうにかしていただけなので、咳が出やしないかと心配でしょうがなかったですね。
こんな状態だったので、マスク姿だったわけですが、” 真夏にもマスク ” という怪しい人になったのが、この年からです。その後も、予防のためにずっとマスクをするようになりました。基本年中マスク、というのは、ある意味、時代を先取りしていたわけですね!(そうじゃない)
あっ、でも、一昨年とかは真夏マスクやめていたのですけれどね。ホントに怪しまれるのですよ。だから外歩く時とかはやめてた。今、マスクが普通のはずなのに、それでも怪しまれているから、本質的に怪しいのだと思う。そんなつもりはないのだけれども、挙動不審なのかな。
結果的にこの年、レミゼを何回も観たことになるのですが、最初はそんなつもりはなくて、一回観られればいいと思っていたのですよ。
いやそれがですね、チケット取れないって聞いていたのです。だから、複数申し込んで、どれか一つ引っかかったらいいな、くらいの気持ちで申し込んだら全部取れちゃったっていう。
それ振り込まなければいいことなのですけれど、素直だったから、当たったんなら全部行かなきゃと、そんな感じですね。姉も取っていたので、それで回数が増えてしまいました。
現在は、演劇界隈は良いことに活気があって、チケットを取るのも大変な作品が多く、取れたらラッキーですが、当時は、元気がないというか、作っている側はそんなことはなかったのだろうけれど、盛り上がりにはかけていたのだろうと思う。
そのため、観たい舞台は大体チケットが取れて観られた。ふと思い立って販売サイトをのぞくと、良い席がポッと残っていたりしましたものね。そしてポチるという(ん?
レミゼきっかけで、他の東宝作品を観るようになり、ミュージカルにも抵抗がなくなり、観劇が趣味と言えるぐらいにまでなってしまったわけなので、まさに、「人生が変わった」とも言えますね。
たまたまだったのですけれど、そういう意味では、すごくいい時期に観劇趣味出来ていたなと思います。良いものを、たくさん観ることができた。それは財産とも言える。
もちろんその分、合わないものもあったので、それは学びです。しかしながら、そういうものにも出会っていないと、視点の偏りにもなりかねないと考えるので、それもプラスでした。
それは、自分の好みは抜きに作品としてどうか、という視点を持つことにも繋がる。こういうことに限らず、そういう見方も、時には必要だったりするではないですか。それはそれとして、という感じですかね。(あなたの考えと私の考えは違うので賛成は出来ないけれど、あなたの意見は尊重します、みたいなやつな)
その作品の空間を、空気感を体感するというのは、当たり前ですが劇場でないと出来ないので、その体感をたくさん出来たことは良い経験でした。映像でも雰囲気はわかるのですが、やはり、演者さんが登場したときの、空気の変わる感じとかは、伝わらないものがありますものね。
とはいえ、映像で観ることの良さもあって、カメラが寄ることで表情が良くわかる、注目してほしい場所がわかる、あとは何より、何をしながら観てもいい、ということですね。私自身が、舞台映像を観て舞台に興味を持った人間だからなこともあるのかもしれませんが、良い選択肢のひとつだと考えます。
そういえば、大学のとき、現代演劇研究だったかな、そんな講義があってとったのですが、講義で使用していた舞台映像は、『笑いの大学』でした。ふと思い出したので書いただけで、特に何もないです。