世の中ってのは大体少数を切り捨てていくスタイルなのでね。それは仕方ないのでいいですけれど、ただ、ああいうことはしっかりとした方がいいと思いますがね。
問い合わせてどうにかなるのかもわからんし、クレーマーみたいになるのも嫌なので、もういいかなと。
きっと、やめるいい機会なのだろう。
ちょうど、あのラジオ番組が今年4月で20周年ですかね。
もちろん、それ以前から存じ上げてはいましたし、なんなら、やっていた番組も聞いていました。他に趣味がなくてラジオをずっと聞いていたから、それでなだけなので、印象は正直あまりなかったです。若い姉さんが頑張っているな位だったかな。
あのラジオで、当時はハガキ送って名前読んで貰って、自分単純だから付いていこうと思ったのを覚えていますが、その頃はまだひっそりとしていました。舞台を観に行きだしてから本格的にという感じでしたので、それまで数年間はひっそりと。
その頃のようにひっそりとするのも、いっそのこと、その前の状態に戻ってしまうのも、極端かもしれないが、それもいいか。その当時に戻るだけです。難しいことは何もない。それもひとつの選択肢として、しばらく考えてみます。応援している人が少ないと悩むところだけれども、そんなことないものね。情報はTwitterで誰かがつぶやくと思うので、嫌でも目に入るでしょうよ。
今日は春分です。切り替えにはちょうどいい日。新たな気持ちでスタートを切るには好日です。
そうすると、ここに注いでいたものをどこに注ぐかなんだけれどもどうしようか。今推しと言える人がいないんだな。いやあの薄々お気付きでしょうが、小松さんももう追っていないからさ。
私のあのTwitterアカウント、基本、リストを見ているから、ちょっとホームに行ったときにつぶやいていたら見ることはあるけれど、それ以外は目に入らないわけです。前に少し書いたのはこのことでもありました。
年明けだったかな(曖昧)、ホームに行った時に小松さんがたまたまつぶやいていて目に入ったのですが、「インスタ」の文字があって、インスタやってんの?! ってなりました。そんなレベルですよ。
実は、'20年の3月位だったか、ふと、そろそろもういいかと思ったのですね。だから、5月のもダメージを受けませんでした。それがね、いつからかな、なんか違うなと感じるようになっていて、でも、惰性だったのかもしれないけれど、追ってはいたのです。それもやめたのがその位の時。
たぶんですが、その理由も説明が付きそうな感じもあります。
Twitterで見た話で、「不倫をしていたが、相手が離婚をすると相手に対しての興味がなくなる人がいる。それは、相手に流れているパートナーのエネルギーも含めてその人が好きだったのではないか」というような内容。
でね、これがもしそうだとすると、逆もあるのではないかと思うわけです。
その人が元々持っている雰囲気なり本質で好きだった場合、他の人のそういうものがそこに入ってきたら"違う"となるのではないか。それが、好きな系統であればそんなこともないのかもしれないが、苦手な系統であれば違和感があっても不思議ではない。
実際にそうだったのかはわかりませんが、何か違うと感じていたのは事実なので、この説は有り得ます。ええ。うん、まあまあまあまあ。"私にとっては"、だから。ここ大事な。自分にとっては微妙でも、他の人にはそんなことはなかったりするのが相性というのにはあるわけでですね。
坂本さんに対してはどうだったっけかね。あれでザックリ言うと、ひとりで問題ない人だからな。あまり影響を受けていないのかもね。あれは関係なく思っていたことですが、自分がこうあるというのが前提で、その結果の先に他人があるという感じがしていて、表現も自分のためだろうし、でも、それで良くて、彼女の場合そうあった方がいい。変に他人優先にすると、バランスを崩しそう。これは人によると思います。他人優先の方が、結果自分がいい方向に向く人もいる。自分があることで他人が見える人と、他人がいることで自分が見える人がいるように思う。
そうだな、もうあれかもしれないしこれ書いておきます。なるべく表現は続けた方がいいです。可能ならば人前に出るようなこともされた方がいい。それをしなくなると、結構キツくなると思う。表現をすることでエネルギー消費しているところがあるので、それをやめるとそれがどこに行くかということでね。違う方向に向かうことになるかもしれない。それが他の何かであればいいけれど、そうでなかった場合。それは出来れば避けてほしい。そういう人がいたから気になって。ここに書いても意味ないかもしれないけれど、サイトから送ることも私にはもう出来ないですしね。