2021年12月31日

そうだと思いました。

おめでとうございます。
やはりそうですよね、という。病気や怪我とかなら、理由も書き加えていただろうからね。はっきり理由を書かなかったのはそういうことですよねと。

8割はそうだろうなと思っておりました。ちょこっと齧っている占いで、あれがそれしていたので。こんなわかり易く出るんだな。こじつけであっても不思議。ただ、2割(病気や怪我など)のほうの場合もなくはなかったので、舞台休演のことについて書いたものには、書くのを控えました。
だから、タイトルが「なるほどね」、「そのままで受け取れば」、「負担になるのでは?」的なことを書いたのです。「そのままで受け取れば」なんてあの文章に要りませんよ。


そういえば、前から疑問があって、ダメだという話ではなくただの疑問。
そういうかたっていらっしゃったりするけれど、舞台って、かなり前から決まっているわけじゃないですか。なぜわざわざそこに当ててくるんだろうと。年中舞台に出ているような人なら、それは仕方ないとも思うけれども。
出たいと思わないと出ない人だと思うし、本人出たかったわけじゃないの?  と。そういう予定があるのだったら、舞台受けていないと思うのだよね。そう考えると、以前に書いたあれにも繋がる可能性が出てきちゃうかもというね。だとすると、ちょっとあれですね。

休演という形は、演出のかた女性だしお子さんいるし、製作側が配慮してくださったのでしょうかね。
新たに加わったかたが今回の場合実質代わりでもあると思うのですが、なんかこのほうがバランス良いような気が……。これファンに怒られるな、まあいいか。ダブルで、一人がレジェンド級のかたの場合、もう一人は若手のほうがバランス良いよね。という、ただの舞台好きとしての意見。
休演となっているので、次があったらみたいな感じなのかな。トリプル?  そもそも私は行くつもりはないので関係ないですかね。行くとしても他のかたにしそう。




2021年12月25日

真っ当な意見

よく配信を拝見している
YouTuberさんのおっしゃっていたことが、
真っ当だと思いました。
テレビなどで見る、
「クリスマスは誰かと過ごすものだ」
という風潮は
やめた方がいいんじゃないか。
という要旨のことでした。
本当そうだなと思います。
世の中には天涯孤独の人もいるし、
誰かと過ごしたくても
それが叶わない人もいる。
そういう人には
そのような映像を目にするのは
辛いのではないのかと。
(誰かと過ごすのは過ごすで
いいのですよ。
そういう人ばかりではないから、
よく目に入るような場所では
やめようぜという話ですね)

そのような風潮は
価値観の押し付けですね。
人と過ごすのが当たり前で、
独りで過ごすのは寂しいと決めつけている。
独りが問題ない人は
こういうことは気にならないでしょうが、
心の底で寂しいと感じている人には
現実を突き付けられるようなものです。

優しい世の中になってほしいです。


私は、クリスマスは、正直申しますと、
どっちでもいいですが、
街の中が華やぐのはいいことだと思いますし、
実は、クリスマスケーキのカタログを
見るのが好きなのです。
やはり、毎年傾向があるので。
というか、食べ物系のカタログが
好きなだけなのですけれどね。
昨年は、都内のを
貰いに行くことが出来なくてですね。
今年は、
毎年楽しみにしているところだけは
貰ってきました。

それにしても、
年々上がっているけれど、
ケーキ、原材料の高騰などで、
軒並み高かったですな。
ちょっとビックリした。




2021年12月19日

無理はしないこと

ニュースなどに触れ、
気分が落ち込んでいる方も
いらっしゃるかと存じます。
そういう時は、ご無理はなさらず、
考えすぎないようになさってください。

話せる人がいる場合はどなたかと話す、
もしくは、
ラジオなりネットの動画でもいいので、
好きな人の話している声を聞く。
なるべく楽しそうなものを聞いて、
話している内容が、少しでも嫌だな
と感じたものは聞かないのも大事。
興味のあることをするなどして
気を紛らわすのもいいです。
独りになると
考えすぎることもあるので、
考える余地を自分自身に与えないのも
ひとつの対処法です。

ただし、この対処法は、
一時的な気分の落ち込み
に対するものです。
長期間続くようでしたら、 
心療内科など
医療機関の受診をおすすめします。



2021年12月10日

単純にはいかない

人と一緒にいても、孤独だと感じている人は世の中に多いのだろうか。人といることで、孤独を解消出来る人はもちろんいる。人といて、それでも孤独を感じている人は、その孤独感は人で埋められるものではないのかもしれない。そういう場合は、"自分と仲良くする"ことをまずはやってみた方がいい。自分のしたいこと、本当の望み、本音。それらを抑圧してはいないか(とはいえ、現状に於いて、法に触れたり、倫理に反することは、それらに含めない)。
抑圧をしているものは、こうあるべき、や、こうしなければ、という固定概念。〜すべき、〜しなければ、は、本当の望みがあって、そちらに意識が向いていても、意識をそれまでにあった場所に戻すため、無意識的に自分に言い聞かせるために使っているものと考える。それは、世間体や一般的など、普通はこう、という世界の囚われ。世間体を気にするのは、意識が外に向いているためであろう。どう見られるか。それらを変えられないのは、頑なさが邪魔をしている。他の因子も絡んで出来ている、そういう囲いをとっぱらえるといいのだが。どこか一辺が崩れれば、他も崩れる。視界が開ける場所に行けるのに、それらに囚われていることで、行けないのはもったいない。いきなり、実際に行動に移すことは難しいかもしれないが、意識が変わると、日々の行動、周りの見え方が少しずつ変わってくる。その積み重ねで大きく変わる。それは、意識が自分に向いているということで、結果的に"自分と仲良くする"ということでもある。
孤独を感じられる人というのは、幸せな人でもある。人といる状況が、その人の価値観の上での普通であり日常、そうでない状況が、非日常。孤独を感じない人は、一人でいる状況が普通であり日常、人といる状況が、非日常。そこから、人といて孤独を感じる人は、一人の時間を増やすといい。人といる状況が慢性化しているのではないか。ならば、その状況を減らしてみることで、人といることに有り難みを感じられるようにしてみたらどうか。即ち、一人の時間を増やすというのは、"自分と仲良くする"ということに繋がる。

そんなところか

 −19  1930

で、とすると

16   か   13


さて、

調子があまりよろしくない。

原因はわかっているので

調子を戻したい気持ちと

このままにしておくとどうなるのか

試してみたい気持ちのせめぎ合い。